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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【人生という旅】vol.06

人生は、よく旅に例えられます。
「月日は百代の過客にして、行きかう人もまた旅人なり」
俳聖芭蕉の『奥の細道』冒頭の有名な言葉です。芭蕉は旅を人生とし、人生を旅として生きた人でした。私たちの人生もまた、まことに旅そのものです。
旅の途中でさまざまな人に出会い、いろんな経験をするように、私たちも人生の途上で、さまざまな人に出会い、喜びや悲しみを共にします。山あり谷ありで、道のりが決して平坦でないのも同じです。

心ならず急ぎの短い旅もあれば、思いのほか長い旅をすることもあるでしょう。これもまた人生と同じです。誰ひとりとして同じ旅をすることがないように、誰も同じ人生を歩むことはありません。
そして、旅は帰るところがあるから旅なのだといわれるように、旅の果てには帰るべき懐かしい故郷があります。
人生という旅にも必ず終焉が訪れます。でも、それはすべての終わりなのではなくて、旅の思い出をふりかえる始まりなのです。
ところで、ふつうの旅には何らかの目的というものがあります。あてのない旅というのもあっていいかもしれませんが、その場合でも何か心に期するものがあったのではないでしょうか。

では人生という旅の目的は何だったのでしょうか。どうも私たちは誰もそれを知らされずに、旅をし続けているようなのです。
果たしてそうでしょうか。
旅が終わり、始まりのところに戻る時、きっと誰もが自分の歩んだ旅の道のりと、その意味をかみしめることでしょう。
この旅は、ただの一度だけの、かけがえのない旅であり、二度と繰り返されることのない旅の歩みじたいが偉大な目的であったということを。過ぎし日々の営みのすべてに深い意味があったのだ。
人生が旅であるとは、そういうことなのだろうと思います。ならばこそ、死はすべての終わりではありません。いのちのふるさとへの帰還であり、故郷への凱旋なのです。
人生は蓮の花咲く仏国土より出でて仏国土に帰るのです。やり残したことはありませんか。お土産は準備しましたか。

照光寺について

住職より