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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【子供の義務とは?】vol.15

全国に先駆けて平成 13年 4月に施行された「川崎市子どもの権利に関する条例」(平成17年 4月に改正施行)は笑止の一語につきます。
その前文に、「平成元年 11月 20日に国際連合総会で採択された「児童の権利に関する条約」の理念に基づき、子どもの権利の保障を進めることを宣言し、この条例を制定する」と謳っています。

たしかに国連の同条約の第七条には、「締約国は、すべての児童が生命に対する固有の権利を有することを認める。締約国は、児童の生存及び発達を可能な最大限の範囲において確保する」とありますが、それは要するに、アフリカ難民の子供だって生きる権利はあるのだという趣旨のことなのです。
難民になって飢えて死ぬ子供など一人もいない川崎市で、なぜこんな条例が定められたのでしょう。どうみても国連の条約とは無関係です。例えば第十一条には、「子どもは、ありのままの自分でいることができる」とあります。子どもは道徳心や学力や人格の向上を図らなくてもよい、「ありのままでいいよ」と、あろうことか条例で認めているのです。

第十二条では、「子どもは自分を守り、又は自分が守られることができる。そのためには、主として次に揚げる権利が保障されなければならない」とし、その筆頭に「あらゆる権利の侵害から逃れられること」と定めています。第十三条にその具体的な内容が記されていて、「子どもは、その育ちに応じて自分を豊かにし、力づけられることができる。そのためには、主として次に揚げる権利が保障されなければならない」とし、(1)遊ぶこと、(2)学ぶこと、(3)文化芸術活動に参加すること、(4)役立つ情報を得ること、(5)幸福を追求すること、などを挙げています。

子供の権利の筆頭に「遊ぶこと」が揚げられているのはご愛敬だとしても、こんな条例がある以上、親は子供に何一つ注意をすることもできないでしょう。学校でどのような教育や指導ができるというのでしょう。
しかし、こんな条例が今や全国で続々と作られているのです。
大人が子供に教えるべきことは、「ありのままでいい」といった無責任なことではなく、「すべきことをする」「してはならないことしない」という、単純かつ当然至極の現実社会のルールではないでしょうか。

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住職より