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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【温故知新】vol.31

よく「歴史は巡る」とか「歴史は繰り返す」と言われます。これはある意味で正しい。私たち現代人は時間というものを、過去から現在、そして未来へとまっすぐに一直線に続いているものだと考えがちですが、そんなことはあり得ないことだからです。
まったく同一の歴史事象が繰り返されるということではもちろんありません。同じような出来事が周期的に繰り返されるということです。

実際の生活感覚でも、時間は決して過去から未来へと一直線に続くものではありません。
昼夜合わせて24時間という1日は、毎日規則正しく繰り返されているではありませんか。 日の循環、月の循環、年の循環があり、この時間の循環を前提としなければ暦もつくれないでしょう。
なぜこのような循環があり、それにもとづいて暦を作成することができるかというと、これは地球が自転しながら太陽の周囲を回っていて、しかも地軸が公転面に対して約23度傾いている、という微妙かつ壮大な物理学的事実に基づいています。だから「季節は巡る」わけです。
これに反して、時間は一直線に進むという考え方は、実は近代になって普及したもので、ユダヤ教やキリスト教の世界観に基づいています。彼らにとって、造物主による天地創造の一点からすべてが始まり、その後は神が計画し予定したとおり、まっすぐに一直線に進んでいく。
しかし、これは特殊な一つの宗教的世界観にすぎません。唯一神教以外の人々にとっては、むしろ他愛もない迷信の如きものです。
寒い冬のあとには春がくる。季節は巡って、去年のように春は必ず訪れる。これは迷信ではなく事実であり、これが私たちの常識です。

同様に人間の行為も、誰も同じようなことを繰り返しています。日々の営みも基本的には、昨日のように、昨年のように、あるいは祖先がしてきたように、同じようなことを繰り返しています。それでいて、まったく同一のことは起きない。その意味では、万事日々に新たです。
インドには、古来「輪廻」という思想がありました。生類が生まれ死に変わることを意味しますが、広義にはこれは実は時間のことです。季節を初めとして万物は流転している、その時間をさす言葉です。
人が範とすべき教訓は、数万年にわたって繰り返された歴史の中にすべてあります。人は古きを尋ねてこそ新しきを知ることができるのです。

照光寺について

住職より