沿革
真言宗智山派。本尊は金剛界大日如来。寺格は常法談林所。
開創は不詳であるが、「延喜式」初見の岡屋牧にゆかりの古寺院ありとされる古刹である。秘仏薬師如来像には白鳳3年(西暦675) の銘がある。山寺地籍には鳴沢から引水した鎌倉時代と判定される遺構等が発見されている。
応永2年(1395年)下社神宮寺宝珠院の憲明法印が中興。文明年間(1469-86)に今井四郎兼平の末孫今井兵部兼貫が堂宇を再建した。享徳元年(1425)紀州金剛峯寺末寺となり、諏訪下社の別当寺である神宮寺一等末寺であった。
明暦2年(1656)頃、山寺から現在地に移る。明和3年(1766)から二度消失し、現在の本堂は第18世法印清源が寛政5年(1793)に建立。
明治の廃仏毀釈で神宮寺が廃寺となったため、千手観音・仁王像などが照光寺に移された。明治6年(1873)4月、境内 に岡谷小学校の前身である岡谷学校が設置された。明治44年、大覚寺直末より現在の智積院に転派する。
第27世宥三大僧正を当山では寺山復興の祖と仰ぎ、在世中に頌徳碑が建立された。第28世宥勝大僧正は真言宗智山派管長・総本山智積院化主第68世に就任。平成3年光明閣落成。平成18年「平成の大改修」により諸堂宇・境内・庭園・寺山墓地参道等が一新した。
年表
西 暦 | 和 歴 | 当山関係事項 |
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674 | 白鳳3 | 照光寺秘仏薬師如来造立(銘)。 |
814 | 弘仁5 | 【新撰姓氏録】に「岡屋公林氏は百済国比流王の末裔なり」とある。 |
905 | 延喜5 | 【延喜式】神名帳に諏訪上下宮がみえ、信濃19牧のうちに岡屋牧をあげる。 |
947 | 元暦年中 | 【諏訪郡御名改帳】に岡屋181町8反230歩の田数を記録する。 |
1072 | 延久5 | 1月7日、下社神宮寺中興第一世尊示寂。 |
1264 | 文永年中 | 鎌倉幕府の【吾妻鏡】に、岡屋が中央の牧監の手を離れて、下社の私荘となった由来が記録されている。 |
1395 | 応永2 | 神宮寺宝珠院憲明法印、照光寺を再興、薬師仏を安置する。 |
1452 | 享徳1 | 照光寺、紀州高野山金剛峯寺末寺となる。 |
1482 | 文明14 | 諏訪湖大氾濫。安国寺(曽根岸寺とも)の仁王尊、下諏訪四王に漂着(仁王尊は照光寺に現存)。 |
1569 | 永禄12 | 12月、第二世法印俊豊、橋原薬師堂を照光寺鬼門除として建立し、薬師如来、薬師十二神像を安置(いずれも現存)。 |
1571 | 元亀2 | 5月、武田信玄、信濃諏訪神宮寺井之坊(照光寺住侶と法縁関係にある院坊)に諸役を免除し、千手堂建立に着手させる。 |
1639 | 寛永16 | このころまでに山寺より寺山現在地に移る。 |
1665 | 寛文5 | 最初の宗門改、照光寺は宗門帳に崑崙人像の「糸印」を用いたことが知られる。 |
1702 | 元禄15 | 5月4日、岡谷村大火、照光寺類焼。 |
1711 | 正徳1 | 8月、境内薬師堂(三間四面)再建。 |
1713 | 正徳3 | 5月、照光寺本尊金剛界大日如来造立。施主総檀中。 |
1715 | 正徳5 | 5月、入仏開眼供養落成。二の丸諏訪頼堯公来寺、狩野周信筆「雀翔竹枝図」他4幅施入。 |
1766 | 明和3 | 3月28日、寺出火、類焼45軒、他に新屋敷5軒を消失。 |
1768 | 明和5 | 9月、照光寺再建着工。このときの棟梁は伊藤半蔵で客殿は梁間6間、桁間8間半、後堂9尺に3間、合計建坪54坪半、本堂の大きさは不明。 |
1788 | 天明8 | 5月14日、岡谷村大火、この日照光寺全焼。 |
1793 | 寛政5 | 2月8日、本堂庫裏落慶法要。棟梁は伊藤(柴宮)長左衛門矩重。 |
1826 | 文政9 | 8月、法印憲住、薬師堂再建。 |
1846 | 弘化3 | 三門建立、棟梁は立川和四郎富昌。扁額「城向山」は憲意僧正道雅の揮毫。 |
1857 | 安政4 | 本尊脇士の不動明王・愛染明王造立。施主、林善左衛門。 |
1858 | 安政5 | 厨子入、鬼子母神像像立。施主、尾沢辰之助。 |
1868 | 明治元 | 8月21日、神宮寺本尊胎蔵界大日如来その他を請来、入仏供養。 |
1871 | 明治4 | 第二十五世宥朝晋山。 |
1873 | 明治6 | 4月、照光寺に岡谷学校設置、明治10年8月には玄関、庫裏に至るまで残らず解放して教室とする。 |
1885 | 明治18 | 3月3日、照光寺に平野川岸両村連合戸長役場を開設。明治22年まで4ヶ年継続。 |
1892 | 明治28 | 第二十四世憲海示寂。 |
1895 | 明治31 | 第二十五世宥朝示寂。 |
1903 | 明治36 | 位牌堂、渡廊下建立。三山社不動堂(木造平屋建、柿葺、向拝、20坪5合)建立。 |
1910 | 明治43 | 鎮守平岡稲荷社改築。 |
1911 | 明治44 | 大覚寺直末より智積院に転派。寺格、常法談林所。 |
1912 | 明治45 | 釈宗演来寺、第1回岡谷敬老会開催。 |
1918 | 大正7 | 4月、鬼子母神堂(間口10尺奥行9尺)建立。 5月、宝蔵(間口6間奥行4間)建立。 |
1921 | 大正10 | 当寺で群内各宗合同聖徳、太子一千三百年遠忌大法要厳修。 |
1923 | 大正12 | 第二十六世宥三晋山。 第二十五世宥詠示寂。 |
1925 | 大正14 | 雨峯墓地設定。 |
1932 | 昭和7 | 表大門石垣、石階、石崖、敷石等の大改修。 |
1934 | 昭和9 | 3月21日、宗祖弘法大師一千百年遠忌記念大法要厳修。 11月15日、蚕霊塔落慶入仏供養式。 |
1935 | 昭和10 | 第一回蚕糸祭蚕霊塔大祭。(4月29日、以降毎年開催)—昭和11年の年号、西暦修正 |
1937 | 昭和12 | 砥川石で寺標建立。 |
1940 | 昭和15 | 興教大師石像建立。 |
1942 | 昭和17 | 戦時、梵鐘法具類を供出。 |
1949 | 昭和24 | 貞明皇后、蚕供養塔御参拝。 本堂屋根改修、向拝増築。 |
1951 | 昭和26 | 洪鐘完成。 位牌堂新築。 |
1956 | 昭和31 | 位牌堂六角堂増築。 |
1963 | 昭和38 | 庫裏改築。 12月、客殿、表玄関、調理室など新築完成。 |
1965 | 昭和40 | 法印宥三、智積院集議席。 |
1967 | 昭和42 | 第二十八世宥勝晋山。 |
1970 | 昭和45 | 宥三、住職50年で護法功労賞を受ける。 宥三、大僧正拝命。 12月、照光寺貴賓館完成。 雨峯墓地増設。 |
1973 | 昭和48 | 第二十七世宥三示寂。 |
1974 | 昭和49 | 照光寺だより「アーローカ」創刊。 |
1977 | 昭和52 | 本堂脇の瑜祗門完成。 |
1979 | 昭和54 | 裏大門通用門完成。 |
1981 | 昭和56 | 県道拡幅、駐車場新設。 |
1982 | 昭和57 | 宥洪、副住職就任。 築地堀新設。 |
1983 | 昭和58 | 蚕霊塔建立五十周年。 万治の石仏に屋根設置。 |
1984 | 昭和59 | 弘法大師一千百五十年御遠忌記念法要厳修。 修行大師像建立。 |
1985 | 昭和60 | 『照光寺誌』刊行。 |
1989 | 平成元 | 照光寺東之坊設立。 東駐車場取得、整備。 |
1991 | 平成3 | 照光寺光明閣完成。 照光寺沿革碑建立。 |
1992 | 平成4 | 照光寺研修道場設立。 東駐車場整備。 |
1993 | 平成5 | 宥勝法印、集議席列座、大僧正拝命。 |
1994 | 平成6 | 平岡稲荷社改築。 蚕霊供養塔屋根修理。 |
1995 | 平成7 | 第二十九世宥洪晋山。 興教大師生誕九百年法要。 |
1996 | 平成8 | 宥勝長老、勲四等瑞宝章。 |
1997 | 平成9 | 照光寺会館取得、設立。 |
1998 | 平成10 | 大乗院再建、落慶。 |
1999 | 平成11 | 宥勝、智山派管長に就任。 |
2000 | 平成12 | 照光寺萌黄寮新設。 大乗院境内整備完成。 八尊仏石像建立。 |
2002 | 平成14 | 光明閣改装・EV設置。 寺山墓地駐車場新設。 |
2003 | 平成15 | 本堂が市文化財に指定。 雨峯墓地駐車場新設。 |
2004 | 平成16 | 奥書院用地取得・造成。 |
2005 | 平成17 | 平成大改修事業開始。 脇本尊大日如来が県宝に指定。 住職晋山十周年記念「仏伝図・六道輪廻図」開眼法要厳修。 宥明、六道輪廻図を光明閣に奉安。 |
2006 | 平成18 | 3月、龍象の水屋建立。 本坊、厠所を再建し、新たに学問所・奥書院を付設。 |
2007 | 平成19 | 平成の大改修落慶法要厳修。 宥勝、真言宗智山派管長2期8年を全うし退任。 秘仏千手観音菩薩特別御開帳。 蚕霊供養塔近代化産業遺産に認定。 |
2009 | 平成21 | 11月、光明閣境内の受付・回廊落成。 本坊裏手に名勝庭園「廬山庭」をつくる。 |
2009 | 平成21 | 光明閣受付新築。 宥明、六道輪廻図を光明閣に奉安。 |
2011 | 平成23 | 第二十八世宥勝示寂。 |
2013 | 平成25 | 三宝閣竣工。宥洪、智山伝法院院長に就任 |
2018 | 平成30 | 宥洪、菩提院結衆列座 |
2019 | 平成31 | 阿弥陀堂落慶 阿弥陀如来像並びに玄宥、宥勝の肖像造顕 |
歴代法印
瑠璃院 中興 | 憲明 | 下神宮寺大坊第十一世憲栄資。下神宮寺宝珠院より入住。応永7年(1400)1月15日示寂。薬師仏を安置。 |
第一世 | 宗順 | 下神宮寺宝珠院第三世宗覚資。天文12年(1584)5月15日示寂。 |
第二世 | 俊豊 | 下神宮寺第二十六世俊応資、永禄12年(1569)12月橋原薬師堂建立。天正2年(1574)2月12日示寂。 |
第三世 | 俊快 | 下神宮寺第二十六世俊応資。天正2年(1574)2月下神宮寺弘蔵院より入住。慶長19年(1614)12月10日示寂。 |
第四世 | 俊浄 | 下神宮寺第二十七世俊鑁資。下神宮寺池之坊より入住。寛永8年(1631)3月6日示寂。 |
第五世 | 尊盛 | 下神宮寺井之坊より入住。寺山中興第一世。明暦2年(1656)2月20日示寂。 |
第六世 | 祐運 | 寛文10年(1670)7月29日示寂。 |
第七世 | 祐圓(宥圓) | 下神宮寺本覚坊第九世宥慶資。元禄8年(1695)10月4日示寂。 |
第八世 | 宥賢 | 祐圓資。元禄元年(1688)11月18日示寂 |
第九世 | 宥仙 | 祐圓資。中院流法流再興。宝永5年(1708)10月20日示寂 |
第十世 | 真宣 | 本師長谷寺小池坊亮貞僧正。宝永5年(1708)2月5日示寂 |
第十一世 | 清般 | 下神宮寺第三十七世。八代将軍吉宗の帰依を受ける。享保17年(1732)10月20日示寂 |
第十二世 | 理海 | 明和3年(1766)12月16日示寂 |
第十三世 | 俊貞 | 元文3年(1738)4月18日示寂 |
第十四世 | 憲阿 | 宝暦8年(1758)牛伏寺転住。安永9(1780)年3月24日示寂 |
第十五世 | 光雅 | 牛伏寺栄光末弟。宝暦10年(1760)4月5日示寂 |
第十六世 | 光圭 | 光雅資。宝暦13年(1763)9月7日示寂 |
第十七世 | 光淳 | 光雅資。文化2年(1805)12月10日、於小野神光寺示寂 |
第十八世 | 清源 | 天保6年(1835)5月、於小野神光寺示寂 |
第十九世 | 憲快 | 筑摩郡大村松本藩士酒井源右衛門弟。文政13年(1830)6月14日示寂 |
第二十世 | 憲住 | 諏訪郡下の原村山崎与左衞門三男。嘉永5年(1852)3月退任 |
第二十一世 | 憲澄 | 諏訪郡内田村矢崎筑左衛門三男。万延元年古田真徳寺入住。明治4年(1871)7月11日示寂 |
第二十二世 | 憲住(再住) | 慶応2年(1866)4月19日示寂 |
第二十三世 | 憲清 | 憲住資。智山前側席。慶応3年3月下諏訪下ノ原観照寺転住。慶応3年(1867)4月28日示寂 |
第二十四世 | 憲海 | 憲澄資。明治2年(1869)佐久長命寺転住。明治28年示寂 |
第二十五世 | 宥朝 | 仏法紹隆寺宥中僧正資。上伊那郡樋口村仁科岡右衛門男。明治31年(1895)3月21日示寂 |
第二十六世 | 宥詠 | 小野村宇治喜平太男。明治31年(1895)入住。大正12年(1923)11月28日示寂 |
第二十七世 | 宥三 | 宥詠資。大正12年(1923)11月19日晋山。大僧正。昭和50年(1975)8月16日示寂 |
第二十八世 | 宥勝 | 宥三資。昭和42年(1967)9月12日晋山。大僧正。真言宗智山派管長総本山智積院第六十八世化主。真言宗長者。平成23年(2011)1月11日示寂 |
第二十九世 | 宥洪 | 宥勝資。平成7年(1995)11月19日晋山。権大僧正 |
照光寺について
照光寺の概要