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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【女工哀史の真相⑧】vol.50

今は昔の話です。いまようやく定年退職を迎えている団塊の世代の方々が、かつて「日米安保条約」という条約の条文を一語たりとも読むことなく、とにもかくにも反対、反対のデモに加わっていたのでした。

当時、二年後の日米安保自動延長を控えて、安保反対のデモ行進が全国の大学で繰り広げられていました。革命前夜のような擾乱の時代でした。
従来の伝統的な権威やしきたりの否定と破壊が、学生の使命であり特権でさえあるかのように思われていたのです。

浮かれたような熱が急速にさめたのは、その4年後の昭和47年の浅間山荘事件以降です。連合赤軍の5名が軽井沢の別荘に人質を盾に籠城した事件ですが、彼らのアジトから多数の遺体が出てきました。

自己批判なるものを強いられ、激しいリンチを仲間から受けて死亡した赤軍メンバーのものでした。暴力革命を夢見る学生の本性とおぞましい実態が白日のもとに晒されたのでした。

従来のあらゆる権威の否定というのが当時のキーワードでした。山本茂実の小説は、単純にこれに便乗したものでした。いわば、単なるイデオロギー小説でした。国家を支えた産業にケチをつけたかったのでしょう。
ところが、それから十年の時が流れて、昭和54年に、この小説に基づく映画が封切られたわけです。

その年、国公立大第一次共通一次試験が行われています。これを機にかどうか、良い意味でも悪い意味でも、それから大学生の覇気が消えたように思うのです。
そして戦後の高度経済成長の完成期と言える一億総中流階級の80年代を迎え、世は泰平と享楽の時代となり、やがてそれは90年代のバブル経済の絶頂と、一転してその崩壊へとつながっていきます。

革命の夢敗れた共産主義者は、攻撃の鉾先を現実の権威ではなく、その基礎となる過去の歴史へと向けるようになっていたのでした。
いわゆる自虐史観の横行です。

山本茂実の『あゝ野麦峠』は、戦後日本の革命思想がもてはやされた絶頂期に公刊されました。山本薩夫監督の映画は、自虐史観の先鞭をつけるものでした。彼は自他共に認める筋金入りの日本共産党員でした。そのような人がつくった映画なのでした。

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