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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【起源の話⑩】vol.62

高度な知的存在

時計や自動車が偶然に生まれるわけがないのと同様以上に、そんな機械よりはるかに複雑な構造と精巧な機能を持つ生物が、ダーウィンの説くように偶然と突然変異だけで生まれるはずがない、という至極もっともな主張がなされるようになったのです。

時計や自動車は、誰かがはっきりとした目的を持って造ろうとしなければ、その完成品は生まれるわけがありません。生物についても同じことがいえるのではないか。

この宇宙自然界の成り立ちを、何の目的も計画もない機械的な力だけで説明しようという無理なことはやめよう、というわけです。

そこで自然的要因としての「必然」(自然法則)や「偶然」のほかに、「デザイン」という要因を科学として認めようではないかという理論が生まれたのです。つまり、自然的要因からは生じない「デザイン」の事実を認めようではないかというのです。

なぜ生命は誕生したのか、生物がいかにしていまの形を得たかは、進化論だけでは説明しきれません。なんらかの知的な計画が働いているのではないかと考えたくなります。

そこで問題は、デザインの主体、デザイナーの存在が推論できるということですが、それはきっと飛び優れて高度な知的存在でしょう。

それは神か、というと、そう言ってしまえば科学ではなくなるから、そう言いません。

ただ、ある種の高度な知的存在を想定しないことには、時計や自動車が突如として偶然に生まれることのないように、それよりはるかに複雑な構造を持つ生命体が、偶然に生まれるわけがないではないかという、これ自体はもっともな話です。

こう主張する理論を、「ID」(インテリジェント・デザイン)といいます。「ID」理論は日本でも最近ようやくメディアで紹介され始めたところですが、米国のように、学校でダーウィンの進化論を教えるべきか否かといった議論にはまだ進展していません。

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