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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【食事の作法】vol.07

たったひとつのこと。些細なことですが、これだけは、ぜひ普及してもらいたいと思うことが、ひとつあります。
それは、食事の前に、手を合わせて「いただきます」ということです。そして食事が済んだら、やはり手を合わせて「いただきました」あるいは「ごちそうさま」ということです。
ほとんどの現代人はいつもまにかこの床しい、しかし当然の礼法としての習慣をなくしてしまったようです。レストランなどで食事の前後に手を合わせている人はほとんどみかけません。

数年前、ある県で学校給食や宿泊学習の時に一斉に手を合わせて、大きな声で「いただきます」という習慣があったのですが、これに対して、ひとりの保護者が「そのような宗教儀礼を生徒に押しつけるのはよくない」とクレームをつけ、結局、廃止されてしまいました。
食事の前後に感謝の祈りを捧げない民族はありません。その作法は確かにそれぞれの宗教的伝統にのっとっています。でも、合掌は日本人にとって仏教の儀礼というより、日本の文化として定着していたはずです。
明治5 年に学制が公布され、修身の科目(今の道徳にあたる)が設けられたとき、ある小学校1年生の修身で最初に学ぶことは、「親に考、国に忠」ではなく、実に食事の作法であ ったといわれています。
なぜ、そんなに食事の作法が大切なのかというと、食べ物が目の前に運ばれてきて、いきなり食べ出すならば家畜と同じだからです。

いかなる宗教性も学校教育にあってはならないというのなら、キリスト教の安息日にもとづいて日曜日を休日とすることも許されるべきではないでしょう。イエス・キリストの誕生を起点とする西暦年号を使うのもやめるべきでしょう。
でも、そんなことをことさら言い立て、学校にクレームをつける人がいないのは、日曜休みも西暦年号も日本の生活文化の中にほとんど定着していて、それを認める健全な常識が一般にはたらいているからです。
考えてみれば、マスコミも含めて世のおとなたちがしていないことを子供にしろということじたい無理な話です。
まず、おとなたちから範を示す必要があります。たとえ学校で「禁止」されていようと、家庭では実行するように心がけましょう。

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