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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【日本人の死生観⑭】vol.78

日本人の「あの世」観

日本古来の民間信仰は寺院仏教の中で生き続けた、と言っても決して過言ではありません。柳田國男は終戦直後に公刊した有名な『先祖の話』という本の中で、昔から日本人の多数は死後の世界を近く親しいものと考えていたと述べ、とりわけ日本的な特徴と言えるものを四つあげています。

①死してもこの国の中に霊は留まって、遠くには行かぬと思ったこと。

②顕幽二界の交通が繁く、単に春秋の定期の祭だけでなしに、いずれか一方の心ざしによって、招き招かれることがさまで困難でないように思っていたこと。

③生人の今際の時の念願が死後には必ず達成できるものと思っていたこと。

④これによって子孫のためにいろいろの計画を立てたのみか、さらに再び三度と生まれ変わって、同じ事業を続けられると思っていたこと。

死後の世界に対するこうした観念は、日本のどこかある地方に特有の民間信仰が徐々に全国に広まったというのではなく、日本列島のほぼ全域に渡って非常に古い時代から脈々と伝えられてきたものであろうと考えられます。その古さがどこまでさかのぼれるかは別として、少なくとも仏教という強力な世界宗教を受容し、外見上日本は古代とは違った仏教国になったはずであるのに、実はその仏教を日本にしかない「日本仏教」という独自の形態に仕上げてしまうほど根の深いものであったとは言えるでしょう。

梅原猛氏は『日本人の「あの世」観』という本の中で、仏教移入以前、おそらくは弥生時代以前から日本に存在している「あの世」観を最も純粋な形で残しているものであろうとして、アイヌと沖縄に伝わる「あの世」観を四つの命題に集約できるとしています。

①あの世はこの世と全くアベコベの世界であるが、この世とあまり変わらない。あの世には、天国と地獄、あるいは天国と地獄の区別もなく、従って死後の審判もない。

②人が死ぬと魂は肉体を離れて、あの世に行って神になる。従って、ほとんどすべての人間は、死後あの世に行き、あの世で待っている先祖の霊と一緒に暮らす。大変悪いことをした人間とか、この世に深い恨みを残している人間は、直ちにあの世にいけないが、遺族が霊能者を呼んで供養すれば、あの世にいける。

③人間ばかりか、すべての生きるものには魂があり、死ねばその魂は肉体を離れてあの世に行ける。特に、人間にとって大切な生き物は丁重にあの世に送られねばならない。

④あの世でしばらく滞在した魂は、やがてこの世に帰ってくる。誕生とは、あの世の魂の再生にすぎない。このようにして、人間はおろか、すべての生きとし生けるものは、永遠の生死を繰り返す。

この話は、一旦このへんにします。

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