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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【お盆を迎える】vol.12

お盆というのは盂蘭盆という言葉を略したものです。一般に「お盆を迎える」といいますと、どういう意味で受けとめられているでしょうか。「ご先祖様を迎える」という意味ですね。1年に1度、ご先祖様が懐かしいわが家に帰って来てくれる。この世にお迎えする祖霊のことを盂蘭盆というのです。辞典等にある「逆さ吊りの苦」という語釈は誤りです。

各家庭では迎え火を焚いてご先祖様をお迎えし、精霊棚にご馳走をならべておもてなしをし、やがて送り火を焚いて、もとの世界にお帰りいただく。こうした風習は、日本全国で行われています。精霊棚には胡瓜で作った馬や、茄子で作った牛を飾ることがありますが、来る時には馬に乗って早く来てほしい、そして帰る時は牛に乗ってゆっくりお帰りいただきたい、そんな願いがこめられているのです。

「私の聞いているある武家の老主婦は、明治も中頃に近くなるまで、盆の魂祭りの日は黒の紋服を着て玄関の式台に坐り、まるで生人に対するような改まった挨拶をした。まことに行き届かぬおもてなしでございましたのに、よう御逗留下さいました。また来年もお待ち申し上げますというような言葉を、もっと長く丁寧に述べられたということである。それに答えられるともうなずかれるとも思っていたわけではあるまいが、おそらくはこれが代々のこの家の作法で、今日の教育とは違って、こう言えこう思えと教える代わりに、自分で直接に実行してみせられたのであろう。私などの家でも、もとは主人が袴をはいて、送り迎えに表の口まで出た。それを形式だの虚礼だのと言った人は、これが子供たちに昔を考えさせる機会だったということを忘れているのである。足洗い水といって縁側に盥を置き、水を張り、または草履を揃えておくということなども、(中略)たまたまは年とった者などが、自分の孫であり祖父や祖母とともにいた日のことを憶い起こし、さらにまた今の孫たちの自分のようになる日を、想像してみるのも多くはこの際の事であった。」(柳田国男『先祖の話』)

話は少し飛躍しますが、健全な民主主義というのは、死者も含めなければ不公平だと私は考えています。何事も生者だけで勝手にきめるのではなく、祖先の意見を尊重すべきだと思うのです。1 年に1 度は、みたまを迎え、お祭りするという行事を通して、祖先の声に耳を傾けるという謙虚な気持ちを日本人は保ち続けてきたのです。

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