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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【教師の職業倫理】vol.25

どんな分野でも報酬を得て仕事をする人には職業倫理が要求されます。
職業倫理といっても、特にむずかしいことではなく、何も聖人君主になれというようなことではありません。
欠陥商品を作らず、売らない。もし売ってしまったら、謝って回収する。腐った魚や野菜を売らない。人体に有害な食品を作らず、売らない。暴利をむさぼらない。適正価格で商品を提供する。顧客に満足を与えるように最大限に努める。そうしたごく当たり前の商道徳のことです。それが出来ない社員なり職人は職場から去っていただく、ということです。

こうした職業倫理は公教育の教育者にも当然求められるはずです。
教師とは、教育という商品を売っている人たちのことだからです。誰に売っているかというと、生徒にではありません。その保護者にです。
保護者たる親たちは、教育という商品、正確には「子供への教育」という商品を買っているわけです。当然対価は支払っています。憲法で義務教育は無償と定められていますが、対価の原資は税金(すなわち親たちが国に納めたお金)ですから、決して無料ではないのです。公教育の教師はボランティアではありませんから、当然のことです。

教育を商品と呼ぶのには抵抗のある人がいるかもしれませんが、現に学習塾や予備校や家庭教師や幼児教育などの分野では、教育は完全に一つの商品になっていて、子供を対象とした教育産業市場は、すでに1兆円規模に達しています。これに英会話やカルチャーセンターや各種専門学校などを含めると、教育産業市場の総額は4兆円を超えています。
実際、教育にはお金がかからないなどと考えている人はいません。これを言い換えれば、いくらかでも教育に熱心な親は、学校教育にさほどの期待をしていないということです。学校教育という商品は欠陥商品だと、暗黙の内に認めているからではありませんか。

たとえば腐った魚を買わされて文句を言わない消費者はいないのに、なぜ公教育に関してのみ、親は子供にどんな教育を押しつけられても、黙って甘受しているのでしょうか。なぜどんな教科書で教えられているか吟味してみようとしないのでしょうか。それでいて教育産業市場がこんなに盛況をきたしているという実態は異常というほかありません。
教師は職人として職業倫理を全うせよ。これに尽きます。

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