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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【日本人の死生観⑨】vol.73

この世界とは?

唯物論の足枷から自由になるとは、次のようなことです。

私たちが住んでいるこの世界は、タテとヨコとタカサがある立方的な三次元の物質世界ですが、二次元、一次元、ゼロ次元とは、どういうものなのでしょう。

二次元とは何か。面です。それは例えば、ケーキをカットした断面のように、タテとヨコだけの純然たる平面です。そこに物質が入り込む余地はありません。

一次元とは何か。線です。線とは実は面の一部です。面をカットしたところ、あるいは、二つの面の接するところが線です。そこにも物質は存在しません。

ゼロ次元とは何か。点です。点とは二つの線の接するところです。点は、いかなる領域を占めることもなく、そこにも物質は存在しえません。

以上のことから、下位の次元は、上位の次元の一部にすぎない、ということがお分かりいただけるかと思います。ケーキをカットした断面はケーキがなければ生まれようがないのです。ここで重要なことは、いかなる次元も、それ自体で単独では存在しえないということです。そして、下位の次元が発展して上位の次元が生まれるということもありえないのです。あくまでもケーキが先で、断面はその後です。

必然的に、この三次元世界もまた、より上位の次元の一部だということになるでしょう。ただし、物理学の話はここまでです。物理学の、あくまでも「フィジカルな」四次元宇宙のことを言おうとしているのではありません。

この話から類推して、私たちが住んでいる世界は、単に物質だけの世界ではなく、もっと深遠な奥行きを秘めた世界に包まれていて、たえずそれを反映しているとは考えられないだろうかということです。

この三次元世界は、物質の世界です。万物の組成は紛うかたなく、ことごとく物質に還元されます。ですが、その物質だけの世界において、どうして人は何であれ崇高なものを尊び、ときには畏れ、奉るようなことをするのでしょう。物質とは無関係の慈悲とか愛などの様々な徳目を尊重し、あるいはまた真善美の追究といったことが行われてきたのでしょう。科学者はこれを幻想というかもしれません。

しかし、いやそうではない。この世界はこの世界だけで完結しているのではなく、この世界の次元を超えた「霊の次元」というべき(それは「彼岸」や「浄土」、あるいは「神聖な領域」としてさまざまに呼ばれる)高次元世界の一部なのではないかということは、古代人にとってむしろ常識の範疇に属することだったでしょう。

聖徳太子の言葉として伝えられる「世間虚仮、唯仏是真」は、まさしくそれを端的に言い表したものです。この世は仮の宿のようなものである。仏の世界のみが真実であるというのは、日本仏教史上において最初に言明された究極の格言でした。

生きとし生けるものにとって、この物質世界を超えた母なる源郷がある。人はそこから生まれ出で、この世に生を受けた以上は、いつかは回帰することが必然である。そのような世界が確実にある。私たちの祖先や世界各地の古い伝統をもつ諸民族は、そのことを察知して、あらゆるものは高次元世界につながる「霊」的な存在であると見抜いていました。

それを原始的なアニミズムというなら、古代人がすでに到達していた高度な英知に比べて、現代人はまるで井の中の蛙です。

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