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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【起源の話⑪】vol.63

近代科学と唯物論

わが国の学校教科書ではダーウィンの進化論を丸ごと受け入れています。単なる仮説がさも自明の科学的事実のように教えられています。

ダーウィンの進化論か、「ID」理論か、という論争はまだ始まったばかりです。

この「ID」理論とは、全宇宙の中で知的な存在は人間だけではない。人間をはるかに超えた存在を認めようというものです。

そして生命の誕生のような人知を超えたことに関しては、「分からない」「神秘だ」と素直に認めようというものです。

これまでの科学はそうした人間以外の高度な知的存在を一切認めていません。万物は物理的に、つまり唯物論的に生まれ、活動し、生命も同じように、物理的に誕生し、物理的に進化してきたと説明してきました。自然科学に何らかの精神性が入り込む余地はまったくありませんでした。

実は人類の思想史上、唯物論は、もぐら叩きのように叩かれては這い出てきた思想でした。インドやギリシャの古代哲学では常に異端として退けられてきました。

ところが、近代科学は、あらゆる分野で唯物論をその基礎においています。かつて前例のない唯物論全盛の時代を迎えたのが近代であったといっても過言ではありません。

ダーウィンが『種の起源』を発表したのが1859年。この同じ年に、マルクスの『経済学批判』が出版されました。果たしてこれは偶然でしょうか。この二著は、機械論的唯物論を根底におく近代科学文明の幕開けとなったのです。

すでに崩壊した旧ソビエト連邦という共産主義国家の理論的支柱であった唯物弁証法なるマルキシズムはもはや顧みられることもありません。

ダーウィンの唯物論的生物学も幕引きの時期を迎えているのではないでしょうか。

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