照光寺タイトル画像
住職写真

宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
バックナンバー

これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【過去に学ぶべきこと】vol.08

戦前の教育を受けた方々は、今でも教育勅語を暗唱しているといいます。
教育勅語は明治23年、大日本帝国憲法が公布された年に発布されました、法令ではなく、 天皇より国民へのメッセージという形式のものでしたが、修身教育だけではなく、学校教育全般、ひいては国民道徳の根本的な精神的支柱として重んじられてきました。
明治教育の根幹をなしたのは修身という科目でした。なぜでしょうか。
明治5年の学制は、維新政府の至上命題だった近代化の施策の一環として発布されたものでしたから、当然のことながら欧米文明の摂取と習得を目的としたものでした。しかし、初等教育においては、むしろ日本古来の伝統的精神の継承に重きを置いたのです。

古より親から子へと受け継がれてきた日常生活の心得とか心構え、要するに生活態度の基本を、ともかくも次代を担う子供たちに一通り伝えておかねばならない。今後いかに西欧文明を取り入れようと、わが国の伝統的精神だけは失われてはならないと、明治政府は賢明にも考え、これを教育の基本に置いたのでした。何もかも欧米一辺倒でやっていこうと考えたのでは決してなかったのです。
その心得というのは、なにもむずかしいことではありません。親に孝行しましょう。兄弟は仲良く、夫婦は仲むつまじく、といったごく当たり前のことばかりでした。それをまとめたのが、教育勅語です。

こうした心得は、いつも時代でも大切なことである。わたしたちの祖先はみんな守ってきた。自分も守っていこうと思うから、国民の皆さんも守りましょうと、天皇ご自身が国民に呼びかけられたのが教育勅語だったのです。
教育勅語は、海外でも非常に高い評価を得ています。西ドイツのアデナウアー首相が教育勅語の独訳を執務室に掲げて、祖国の再建を誓ったというのは有名な話です。

そのように大切なものを、敗戦後の昭和 23年 6月に、国会で失効決議をしてしまいました。
そればかりではなく、戦後一貫して、その徳目を蔑ろにし、むしろ否定する教育を行ってきたのでした。その結果が今日の教育の惨状です。
戦後60年を迎えて、過去に学ぶべきことがたくさんありそうです。

照光寺について

住職連載法話