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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【戦後72年⑤】vol.83

明治35年(1902)、日英同盟が結ばれました。世界の七つの海を支配し、全世界の4分の1を版図とし、世界の盟主を自負していて、どの国とも同盟しなかった絶対王者たる大英帝国が日本と同盟を結んだことは世界中を驚かせたものです。明治維新を裏で画策し、かつ支援したのは大英帝国であり、伊藤博文を初めとする明治の元勲たちを自国に留学させ育てたのも大英帝国でしたから、ある意味当然のことだったのかもしれませんが、その大英帝国の支配下に治まることなく、明治の開国以来わずか35年で、日本の国際的地位はここまで急上昇していました。

ロシアは満洲を征服した後、貪欲に朝鮮半島を狙っていました。朝鮮が中央アジアのカザフスタンやウズベキスタンなどのように、「コリアスタン」になることはほぼ確実でした。

ここで再び、朝鮮よ、頑張れ、ロシアに呑み込まれるな、と叱咤激励したのが日本でした。しかし、それでも朝鮮民族は立ち上がらなかったのです。

面積でシナ全土を上回る広大なロシアのロマノフ王朝のねらいは、朝鮮半島を踏み台にして日本を征服し、太平洋に進出することでした。

日本にとっては朝鮮半島がロシアに占領されてしまえば、万事休すです。両国の衝突は必至でした。

陸の戦場は朝鮮半島となりました。明治日本が経験した日清・日露の大戦は、最初の敵は清朝、二番目の敵はロシアでしたが、いずれの原因も朝鮮半島にあったのです。朝鮮がしっかりしていれば、この二つの戦争はする必要がなかったのです。

明治37年(1904)2月10日、日露戦争が勃発しました。日本は全世界の予想を裏切って最強と言われたロシアのバルチック艦隊を全滅させ、完全勝利を収めました。

日清・日露の戦争はいずれも日本の何十倍もの広い国土と大きな力のある国との戦いでした。のちの大東亜戦争も同様です。

日本は勝って当たり前という国とは戦争をしていません。もちろん負けを覚悟で戦ったこともありません。米英との大戦も、もし勝ち進んだ緒戦で、せめて一年以内に矛を収めていたら違った展開になっていたことでしょう。あの広大な、途方もなく国力の差のあるアメリカと勝てるはずもない戦争をした日本はいかに愚かだったかと、生半可な後知恵で知ったかぶりをして言う人がいます。自分たちの祖父や曾祖父の行為がどのような結果を招いたにせよ、その労苦を誇りに思わない民族がかつてあったでしょうか。恥ずべきは戦後の今の日本人です。かつて世界で最も誇り高い民族であったと戦前まで自負していた日本人が、戦後、「誇り」という言葉さえも知らない民族になりはてたのはなぜでしょうか。

繰り返しますが、国家間の戦争は究極の外交手段なのです。それが始まった「理由」と、終わった「結果」が必ずあります。その戦いに殉じた方々を国家が顕彰するのは当然のことです。それが「勲章」の本来の意義です。

日露戦争は、日清戦争と同じく、韓国の独立と安定のための戦いでした。その時、当事者の韓国は何をしていたのか。「韓国は自分を守るために一撃すら与えることが出来なかった」(アメリカ・ルーズベルト大統領談)のです。

当時の英外相ランズダウンは、「韓国は日本に近きこと、それと一人で立ちゆく能力なきが故に、日本の管理と保護の下に入らねばならぬ」とまで言い、「さもなくば、ロシアの永久支配下に置かれること必定」とも言っています。

これが韓国問題に対する当時の世界の共通認識でした。全満洲を手にしたロシアが韓半島を制覇するのは時間の問題でした。その後にロシアの矛先が日本に向けられるのは火を見るより明らかでした。もし韓国が自立できてさえいれば、日本は日露戦争をする必要も必然性もなかったのです。

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