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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【日本人の死生観⑫】vol.76

死者儀礼と祖先崇拝

死者儀礼と祖先崇拝と一括りにしましたが、この二つは同じものではありません。

死者儀礼とは、この世の生を終えた人の魂を「あの世」に送る儀式、一般に、お葬式と呼ばれている儀式のことです。一方の祖先崇拝の具体的な形は「祭」ですが、祭とは、「あの世」の魂をこの世に呼び戻す行事です。魂とあの世に関わる点では同じですが、その機能は正反対だということになります。

祭の場合、単に「あの世」の魂をこの世に呼び戻すだけではなく、賓客として迎え、あらゆる趣向で歓待し、そして送り返すという一定の形式が踏まえられています。

「冠婚葬祭」という四字熟語の最後の「祭」とは、祖霊に対する礼法のことであり、厳密には祭とはこの意味に限定されます。祖霊を想定しない「学園祭」とか「学校祭」とか各地の「文化祭」とかデパートなどが催す「感謝祭」といった場合の「祭」は、日本語本来の祭ではありません。祭と称する以上は、何かがたてまつられていなくてはならないからです。

ちなみに、昭和23年に「国民の祝日に関する法律」が施行されて、それまでの祭日も祝日もすべて「祝日」になってしまいました。元旦や建国記念の日(旧・紀元節)は祝日ですが、春秋の彼岸、つまり春分の日や秋分の日は祝日ではなく、本当は祭日と呼ぶべきなのです。戦前までは、建国などを「お祝いする日」である祝日に対して、祭日は「祖霊をたてまつる日」ときちんと区別されていました。

それはともかく、いま述べたような「祭」の一定の形式ということで誰でも思いつくのは、お盆でしょう。普段は離れて暮らしている兄弟姉妹が集まり、迎え火を焚いて先祖の霊を迎え、精霊棚にはご馳走を並べ、皆で花火や盆踊りなどを楽しみ、やがて送り火を焚き、あるいは灯籠流しなどをして祖霊を見送る。これがお盆ですね。

お盆ともなれば、今でも全国的な規模の帰省ラッシュがみられ、お盆にちなんだ大小さまざまな行事が全国各地で催されます。たとえば全国的に有名な四国徳島の阿波踊りは「阿波の精霊踊り」と呼ぶのが本来であり、また京都の祇園祭も「祇園御霊祭」というのが正式な名称で、いずれも本来は祖霊を慰めるための盆行事なのです。

お盆で迎える祖霊とは、家々のすべての先祖ということになっていますが、一般の人々の実感としては、比較的新しい魂を身近に感じていて、特に初めて迎える魂を新盆と称してきわめて丁重に扱います。

それに対して日本中の村々で行なわれる春秋の祭は、山の神が中心となりますが、山の神というのは、要するに山の霊気にとけ込んでしまった古い祖霊のことです。こちらのほうは各家ではなく、共同体の行事として行なわれます。

古くから日本人は「あの世の魂をこの世に迎える」お盆という行事を通じて、あるいは春秋のお彼岸や年回忌の法事などを通じて、人が死ぬとどこへ行くのか、そしてその後はどうなるのかということを無意識のうちに学んでいたわけです。

人はこの世の生を終えると、それですべてがおしまいなのではない。必ず行くところがある。そして「あの世」に行けば、行きっぱなしというのではなく、たえず(定期的に、あるいは不定期に)この世の子孫たちに招かれ、歓待されるのだ、ということが当然のことのように世代を超えて受け継がれてきたのです。

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