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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【時報の役割をした鐘】vol.16

たいがいの寺院の境内には鐘楼があって、朝夕に鳴り響く鐘の音は寺院独特の風情を醸し 出しています。
寺院の鐘は江戸時代にはとても重要な役割を果たしていました。昼夜を問わず、一刻おき に打ち鳴らされ、それが時報となっていたのです。
約2時間が一刻です。太陽が南下する正午(午の刻)に、鐘は九つ鳴ります。正午から一刻 ごとに、八つ、七つと回数が減っていき、日没時に六つ鳴ります。これが「暮れ六つの鐘」です。さらに五つ、四つと減り、午前零時(子の刻)に九つに戻り、また一刻ごとに数が減り、 日の出に六つ鳴ります。これが「明け六つの鐘」です。「お江戸日本橋七つ立ち…」と唱歌にある「七つ」とは、七つの鐘が鳴る朝の4時頃のことでした。

日常語になっている「三時のおやつ」というのは、午後に鐘が八つ鳴って、次に七つ鳴るまでにとる間食に由来する言葉です。
当時の寺院に現代のような時計があったわけではありません。何をたよりに一刻をごとに鐘を鳴らすことができたのでしょうか。
寺院の本堂には、香を長時間焚くための常香炉という、一風変わった道具箱のようなものが置かれています。実は私自身、法要の時に用いる仏具だとばかり思いこんでいたのですが、以前に全国でも有数の古時計コレクションで知られる松本市時計博物館に、それが展示されているのを見て驚いたことがあります。なんとそれに、「常香炉」ではなく、「時計」と記したプレートが付いていたからです。なるほどと、思いました。

常香炉が時計だったのです。その中で焚く抹香の減り具合で、寺僧は鐘を打つ時を知り、その鐘の音の数で人々は時刻を知ったのでした。
一刻の間隔は、春分を境に昼間は長くなり、夜は短くなります。秋分から昼間は短くなり、夜は長くなっていきます。いずれも昼夜それぞれを六等分します。このように1年を通じて不定数の時刻を正確に計るために香を盛る道具があるのですが、その作業は容易ではなかったでしょう。
江戸時代初期に、全国でおよそ5万の梵鐘が鋳造されています。これは当時の全国の村の数に相当します。
どの村にも必ず寺があり、全国一斉にどの寺でも鐘が鳴り響いて、江戸時代の人々は皆どこにいても時刻を知ることができたのでした。当時の全世界において、それはまことに稀有なことだったと言えるでしょう。

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