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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【「やま」と「やまと」の意味】vol.26

私たちは普段、日本語を漢字の意味で考える癖がついています。漢字がなかった時代の古代日本語に意味がなかったはずがないのに、そのもとの意味がなんであったかということをあまり考えようともしません。
例えば、「山」という言葉があります。これを「サン」と読むのは昔の音をそのままとりいれた名残です。この漢字が日本に伝えられた当時、日本人は中国音の「サン」とは別に、「やま」という読み方をすることにしました。問題は、この「訓読み」の意味です。

試みに『広辞苑』(第五版)の「やま」の項をみると、実に多くの説明が載っています。最初に「平地よりも高く隆起した地塊」とあります。これは大概の漢和辞典の「山」の説明と同じです。
ところが、「古く神が降下し領する所とされた」とか、さらに「山野に自生するもの、また、恐ろしいもの」といった説明もあります。これらは漢和辞典には載っていない意味です。おそらく古代日本語の「やま」には漢字の「山」以上に、かなり多様な意味があったと思われます。。

関連して、「よみ(黄泉)」という言葉を調べてみると、「ヤミ(闇)」の転か。ヤマ(山)の転ともいう」とあり、「死後、魂が行くという所。死者が住むと信じられた国」という説明が載っています。
なぜ「黄泉」と書いて「よみ」と読むのでしょうか。「黄泉」は紛れもなく漢語で、「死者の行く所、あの世」という意味です。それと同じ意味の「よみ」という言葉が古代日本語にあったから、これを「黄泉」の日本語読み(つまり訓読み)としたのでしょう。

そこで、こういうことが言えるかもしれません。古代日本語の「やま」と「やみ」と「よみ」とは、きっと相通じる意味があったと。それは「神が降下し領する所」であり、「やま」も単に「平地よりも高い所」ではなかったのです。
そこから生まれた言葉が「やまと」でしょう。「山処」「大和」「倭」という漢字が当てられていますが、いずれも古い日本の別名です。

全国の寺院が平地にあっても「山号」がついているわけは、古代より日本語の「やま」には「神聖な場所」という意味があり、なぜ神聖かというと、そこは「よみ」、つまり死者の赴く処であり、霊場だったからです。
死者と祖霊を尊ぶ国。それが「やまと」なのです。

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