宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長
月々の言葉と連載法話
バックナンバー
これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。
お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。
戦後72年
日本語の仏教
日本人の死生観
- 2017年6月掲載
「【日本人の死生観⑭】vol.78」 - 2017年5月掲載
「【日本人の死生観⑬】vol.77」 - 2017年4月掲載
「【日本人の死生観⑫】vol.76」 - 2017年3月掲載
「【日本人の死生観⑪】vol.75」 - 2017年2月掲載
「【日本人の死生観⑩】vol.74」 - 2017年1月掲載
「【日本人の死生観⑨】vol.73」 - 2016年12月掲載
「【日本人の死生観⑧】vol.72」 - 2016年11月掲載
「【日本人の死生観⑦】vol.71」 - 2016年10月掲載
「【日本人の死生観⑥】vol.70」 - 2016年9月掲載
「【日本人の死生観⑤】vol.69」 - 2016年8月掲載
「【日本人の死生観④】vol.68」 - 2016年7月掲載
「【日本人の死生観③】vol.67」 - 2016年6月掲載
「【日本人の死生観②】vol.66」 - 2016年5月掲載
「【日本人の死生観①】vol.65」
- 2017年6月掲載
起源の話
- 2016年4月掲載
「【起源の話⑫】vol.64」 - 2016年3月掲載
「【起源の話⑪】vol.63」 - 2016年2月掲載
「【起源の話⑩】vol.62」 - 2016年1月掲載
「【起源の話⑨】vol.61」 - 2015年12月掲載
「【起源の話⑧】vol.60」 - 2015年11月掲載
「【起源の話⑦】vol.59」 - 2015年10月掲載
「【起源の話⑥】vol.58」 - 2015年9月掲載
「【起源の話⑤】vol.57」 - 2015年8月掲載
「【起源の話④】vol.56」 - 2015年7月掲載
「【起源の話③】vol.55」 - 2015年6月掲載
「【起源の話②】vol.54」 - 2015年5月掲載
「【起源の話①】vol.53」
- 2016年4月掲載
女工哀史の真相
日本人の美徳
- 2014年6月掲載
「【自分との対話】vol.42」 - 2014年5月掲載
「【日本製の漢語】vol.41」 - 2014年4月掲載
「【世界の言語】vol.40」 - 2014年3月掲載
「【クローン人間の悪夢】vol.39」 - 2014年2月掲載
「【世界宗教の分布】vol.38」 - 2014年1月掲載
「【イギリスの保守性】vol.37」 - 2013年12月掲載
「【自由という特権】vol.36」 - 2013年11月掲載
「【政教分離】vol.35」 - 2013年10月掲載
「【フィリピン憲法の場合】vol.34」 - 2013年9月掲載
「【日本人の脳】vol.33」 - 2013年8月掲載
「【男女平等の神話】vol.32」 - 2013年7月掲載
「【温故知新】vol.31」 - 2013年6月掲載
「【漢字の伝来】vol.30」 - 2013年5月掲載
「【進歩とは何か】vol.29」 - 2013年4月掲載
「【愛国心について】vol.28」 - 2013年3月掲載
「【絵のように美しい国】vol.27」 - 2013年2月掲載
「【「やま」と「やまと」の意味】vol.26」 - 2013年1月掲載
「【教師の職業倫理】vol.25」 - 2012年12月掲載
「【道徳教育について】vol.24」 - 2012年11月掲載
「【死者も家族】vol.23」 - 2012年10月掲載
「【仏教伝来の意味】vol.22」 - 2012年9月掲載
「【古墳時代の謎】vol.21」 - 2012年8月掲載
「【ユートピア幻想】vol.20」 - 2012年7月掲載
「【子どもをテレビから離して!】vol.19」 - 2012年6月掲載
「【母性がいかに大切か】vol.18」 - 2012年5月掲載
「【敵も供養する】vol.17」 - 2012年4月掲載
「【時報の役割をした鐘】vol.16」 - 2012年3月掲載
「【子供の義務とは?】vol.15」 - 2012年2月掲載
「【王様は裸だ!】vol.14」 - 2012年1月掲載
「【宗教教育について】vol.13」 - 2011年12月掲載
「【お盆を迎える】vol.12」 - 2011年11月掲載
「【とまらない少子化】vol.11」 - 2011年10月掲載
「【脱「個人主義」宣言】vol.10」 - 2011年9月掲載
「【自由に生きるとは?】vol.09」 - 2011年8月掲載
「【過去に学ぶべきこと】vol.08」 - 2011年7月掲載
「【食事の作法】vol.07」 - 2011年6月掲載
「【人生という旅】vol.06」 - 2011年5月掲載
「【死者の目・仏の目】vol.05」 - 2011年4月掲載
「【善悪の根拠】vol.04」 - 2011年3月掲載
「【どうして敬語を教えないのか?】vol.03」 - 2011年2月掲載
「【祈りのために】vol.02」 - 2011年1月掲載
「【日本人の美徳】vol.01」
- 2014年6月掲載
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
- 2018年12月掲載
「12月のことば」 - 2018年11月掲載
「【日本語の仏教⑨】vol.93」 - 2018年10月掲載
「10月のことば」 - 2018年9月掲載
「【日本語の仏教⑧】vol.92」 - 2018年8月掲載
「8月のことば」 - 2018年7月掲載
「【日本語の仏教⑦】vol.91」 - 2018年6月掲載
「【日本語の仏教⑥】vol.90」 - 2018年5月掲載
「【日本語の仏教⑤】vol.89」 - 2018年4月掲載
「【日本語の仏教④】vol.88」 - 2018年3月掲載
「【日本語の仏教③】vol.87」 - 2018年2月掲載
「【日本語の仏教②】vol.86」 - 2018年1月掲載
「【日本語の仏教①】vol.85」
- 2018年12月掲載
2017年
- 2017年12月掲載
「【戦後72年⑥】vol.84」 - 2017年11月掲載
「【戦後72年⑤】vol.83」 - 2017年10月掲載
「【戦後72年④】vol.82」 - 2017年9月掲載
「【戦後72年③】vol.81」 - 2017年8月掲載
「【戦後72年②】vol.80」 - 2017年7月掲載
「【戦後72年①】vol.79」 - 2017年6月掲載
「【日本人の死生観⑭】vol.78」 - 2017年5月掲載
「【日本人の死生観⑬】vol.77」 - 2017年4月掲載
「【日本人の死生観⑫】vol.76」 - 2017年3月掲載
「【日本人の死生観⑪】vol.75」 - 2017年2月掲載
「【日本人の死生観⑩】vol.74」 - 2017年1月掲載
「【日本人の死生観⑨】vol.73」
- 2017年12月掲載
2016年
- 2016年12月掲載
「【日本人の死生観⑧】vol.72」 - 2016年11月掲載
「【日本人の死生観⑦】vol.71」 - 2016年10月掲載
「【日本人の死生観⑥】vol.70」 - 2016年9月掲載
「【日本人の死生観⑤】vol.69」 - 2016年8月掲載
「【日本人の死生観④】vol.68」 - 2016年7月掲載
「【日本人の死生観③】vol.67」 - 2016年6月掲載
「【日本人の死生観②】vol.66」 - 2016年5月掲載
「【日本人の死生観①】vol.65」 - 2016年4月掲載
「【起源の話⑫】vol.64」 - 2016年3月掲載
「【起源の話⑪】vol.63」 - 2016年2月掲載
「【起源の話⑩】vol.62」 - 2016年1月掲載
「【起源の話⑨】vol.61」
- 2016年12月掲載
2015年
- 2015年12月掲載
「【起源の話⑧】vol.60」 - 2015年11月掲載
「【起源の話⑦】vol.59」 - 2015年10月掲載
「【起源の話⑥】vol.58」 - 2015年9月掲載
「【起源の話⑤】vol.57」 - 2015年8月掲載
「【起源の話④】vol.56」 - 2015年7月掲載
「【起源の話③】vol.55」 - 2015年6月掲載
「【起源の話②】vol.54」 - 2015年5月掲載
「【起源の話①】vol.53」 - 2015年4月掲載
「【女工哀史の真相⑩】vol.52」 - 2015年3月掲載
「【女工哀史の真相⑨】vol.51」 - 2015年2月掲載
「【女工哀史の真相⑧】vol.50」 - 2015年1月掲載
「【女工哀史の真相⑦】vol.49」
- 2015年12月掲載
2014年
- 2014年12月掲載
「【女工哀史の真相⑥】vol.48」 - 2014年11月掲載
「【女工哀史の真相⑤】vol.47」 - 2014年10月掲載
「【女工哀史の真相④】vol.46」 - 2014年9月掲載
「【女工哀史の真相③】vol.45」 - 2014年8月掲載
「【女工哀史の真相②】vol.44」 - 2014年7月掲載
「【女工哀史の真相①】vol.43」 - 2014年6月掲載
「【自分との対話】vol.42」 - 2014年5月掲載
「【日本製の漢語】vol.41」 - 2014年4月掲載
「【世界の言語】vol.40」 - 2014年3月掲載
「【クローン人間の悪夢】vol.39」 - 2014年2月掲載
「【世界宗教の分布】vol.38」 - 2014年1月掲載
「【イギリスの保守性】vol.37」
- 2014年12月掲載
2013年
- 2013年12月掲載
「【自由という特権】vol.36」 - 2013年11月掲載
「【政教分離】vol.35」 - 2013年10月掲載
「【フィリピン憲法の場合】vol.34」 - 2013年9月掲載
「【日本人の脳】vol.33」 - 2013年8月掲載
「【男女平等の神話】vol.32」 - 2013年7月掲載
「【温故知新】vol.31」 - 2013年6月掲載
「【漢字の伝来】vol.30」 - 2013年5月掲載
「【進歩とは何か】vol.29」 - 2013年4月掲載
「【愛国心について】vol.28」 - 2013年3月掲載
「【絵のように美しい国】vol.27」 - 2013年2月掲載
「【「やま」と「やまと」の意味】vol.26」 - 2013年1月掲載
「【教師の職業倫理】vol.25」
- 2013年12月掲載
2012年
- 2012年12月掲載
「【道徳教育について】vol.24」 - 2012年11月掲載
「【死者も家族】vol.23」 - 2012年10月掲載
「【仏教伝来の意味】vol.22」 - 2012年9月掲載
「【古墳時代の謎】vol.21」 - 2012年8月掲載
「【ユートピア幻想】vol.20」 - 2012年7月掲載
「【子どもをテレビから離して!】vol.19」 - 2012年6月掲載
「【母性がいかに大切か】vol.18」 - 2012年5月掲載
「【敵も供養する】vol.17」 - 2012年4月掲載
「【時報の役割をした鐘】vol.16」 - 2012年3月掲載
「【子供の義務とは?】vol.15」 - 2012年2月掲載
「【王様は裸だ!】vol.14」 - 2012年1月掲載
「【宗教教育について】vol.13」
- 2012年12月掲載
2011年
- 2011年12月掲載
「【お盆を迎える】vol.12」 - 2011年11月掲載
「【とまらない少子化】vol.11」 - 2011年10月掲載
「【脱「個人主義」宣言】vol.10」 - 2011年9月掲載
「【自由に生きるとは?】vol.09」 - 2011年8月掲載
「【過去に学ぶべきこと】vol.08」 - 2011年7月掲載
「【食事の作法】vol.07」 - 2011年6月掲載
「【人生という旅】vol.06」 - 2011年5月掲載
「【死者の目・仏の目】vol.05」 - 2011年4月掲載
「【善悪の根拠】vol.04」 - 2011年3月掲載
「【どうして敬語を教えないのか?】vol.03」 - 2011年2月掲載
「【祈りのために】vol.02」 - 2011年1月掲載
「【日本人の美徳】vol.01」
- 2011年12月掲載
今月の言葉
【戦後72年④】vol.82
以後、第二次大戦の最後まで、戦場の日本人はこの精神に殉じることになります。
世界の予想を裏切って、日本は大帝国・清に圧勝。明治28年(1895)4月、下関条約調印。この条約の第一条に「清国は朝鮮半島が完全無欠の独立自主国であることを承認する」と銘記されたのです。この明白な歴史的な事実を知れば、今の朝鮮の人々は日本に感謝しなければならないはずです。
眠れる獅子と恐れられた大帝国・清が極東の島国日本に敗れたのです。これで西洋のアジアに対する見方が変わりました。
ただちに露仏独の三国が遼東半島の放棄を日本に勧告してきました(三国干渉)。日本はこれを受諾しました。明治31年(1898年)、ドイツは膠州湾を、ロシアは遼東半島の旅順と大連湾を占領。フランスは広州湾九十九カ年租借権、イギリスは九竜半島九十九カ年租借権を獲得。シナ大陸は貪欲な白人諸国から勝手放題に蹂躙され、もはや国のかたちをとどめていませんでした。
明治19年6月に日本は赤十字条約に加盟し、同年10月には海上国際法に関するパリ宣言に加入していました。「事実は、日本政府がその採択せる文明の原則を実行するに堪えることを示した。日本は日清戦争で敵が国際法の原則を無視したにも拘らず、自らはこれを尊重した」とフランスの国際法学者フォーシーユ氏は述べています。
明治33年(1900)、清国に義和団事変が発生しました。これは一種の排外運動でしたが、日本を含む列国により鎮圧されました。このどさくさにまぎれてロシアは全満洲を占領しました。ロシア軍は満洲に侵入するや街を焼き、略奪の限りを尽くしたのです。
この頃、ロシアの識字率は20%以下。日本人の識字率はほぼ100%。日本人は世界の野蛮人たちと戦っていたのです。
清軍の敗残兵はもっと酷かったと伝えられています。ところが北京に入城した日本軍は違いました。日本の軍規は厳しく、末端の兵士にいたるまで非行の一つもなく、北京の住民は、この有史以来、初めて目にする光景に驚き、布や紙に「大日本順民」と書いて日本軍を歓迎したのでした。
この頃、清国はすでに独立国家の体裁をなしていませんでした。西欧列強の草刈り場と化していたのです。しかし、日本はどこであろうと自国の領土を広げようという野心はありませんでした。なぜそう言えるか。ハワイが格好の例です。
明治14年(1881)3月、ハワイ王カワハラが来日しました。密かに明治天皇を赤坂離宮に訪問し、懇談したことが『明治天皇紀』に記されています。ハワイ王は日本の皇室との縁組を望み「日本を盟主に亜細亜連盟を!」と提案したのです。明治天皇は、日本の皇室が他国と縁組をしたことは前例がないとの理由で、この申し出は退かれました。
このときハワイ王はもう一つ、日本人のハワイへの移民を希望しました。ポリネシア人の人口の減少を憂い、「優秀な日本民族の移民」を懇願したのです。これらの申し出は、当時の世界情勢下において、ハワイは独立国家として存続することが困難であるから、これからハワイは日本の領土になってもいいといっているに近い申し出でした。
明治天皇は、移民のことは承諾されたようです。ハワイへの日本人移民の約束は実行され、その結果、1900年にハワイ在住の日本人は6万人以上、全人口の40%に達しました。これはシナ人やハワイ土着民の2倍、米国人の9倍でした。
もし住民の数で国の帰属を決定したとすれば、またもし日本に「侵略」の意図があったならば、ハワイ諸島は日本の領土になっていてもおかしくありませんでした。それは十分に可能だったのですが、日本にそんな野心はありませんでした。
ところが、どうです。1893年1月、わずか150名の海兵隊がハワイ政庁を奪取し、カメハメハ王朝は滅亡しました。こうしてハワイはアメリカ50番目の州となったのです。それは明治26年、ハワイ王が日本を訪問して12年目のことでした。
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