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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【日本人の死生観⑧】vol.72

いっそう深まる生命の神秘

今現在、アメリカでは多くの州でダーウィン進化論を学校で教えることについて激しい論争が広まっています。さまざまなメディアを通じて、ダーウィン進化論を見直すべきではないかという議論が高まってきたのです。

果して人類は猿から進化したと言えるのだろうか。学校教科書にも書いてあるこの一般的な常識は、ひとえにダーウィンの進化論にもとづくものですが、これは実は何の証拠もない仮説に過ぎないというのです。

これまでにもアメリカには聖書原理主義ともいうべき考えが根強くあって、聖書の記載通りに世界は七日で神が創造し、最後に人間を造ったのであって、ダーウィンの進化論を学校で教えるべきではないと強硬に主張する人たちがいました。

今回の論争は、「神」の側からではなく、あくまでも「科学」の範囲で、ダーウィン進化論に真っ向から異を唱えるもので、生命の起源やあらゆる生物の進化についてのダーウィンの学説は何の証拠もない仮説にすぎないと主張しています。

このコラムで以前にも書いたことですが、途方もなく複雑な構造と機能を持つ生物が果してダーウィンの説くように偶然と突然変異だけで生まれたのであろうか。

時計や自動車は誰かが目的を持ってデザインをしなければ、その完成品は生まれようがありません。同様に、というか、それ以上に、この数理的に完璧な宇宙自然界の成り立ちを、何の目的も計画もない、唯物論的な力だけで説明しようという無理なことはやめて、自然的要因としての「必然」(自然法則)や「偶然」のほかに「デザイン」という要因を科学として認めようではないかという理論が台頭してきたのです。

そこでデザインの主体、デザイナーの存在としての高度な知的存在が推論できると主張する理論を、「ID」(インテリジェント・デザイン)というのですが、これは新手の「神の存在証明」ではなく、そのような知的存在を想定しなければならないほど、生命は神秘に満ちていて、生命の起源と進化の真相は結局のところ「分からない」というのです。

これまでの科学的な常識では、原初の生命は三十数億年前の太古の海の底で何らかの化学反応が起きて偶然に生まれたとされてきました。しかし、機械部品を袋に入れて揺さぶり続けていたら偶然、時計や自動車の完成品が組み立てられていたなどということが考えられないのと同様、否それ以上に、太古の海の中で何らかの化学反応が起きて突如として精巧な遺伝子配列を持つ生命が誕生したなどということは考えられないことです。

日本の遺伝子工学の権威、筑波大学名誉教授の村上和雄氏は、ヒトゲノムの解読を通じて、「自然にはどうも二つあるのではないか。つまり、目に見える自然と目に見えない自然がある。目に見える自然の奥に、目に見えない自然の働きがあるのではないか。その目に見えない自然の働きを私はサムシング・グレートと名付けた」と語っています。ようやく最新の科学は、近代の科学と人々の常識を席捲した唯物論の足枷から自由になり始めたように感じられます。

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