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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【日本語の仏教⑤】vol.89

沖縄の古語

『沖縄古語辞典』の「てら」の見出し語に二つあり、一つは仏教の寺院を指す語で、「仏寺。寺院」と言い換えられている。もう一つは、『南東歌謡大成 沖縄篇上』所収の古謡に見られる古語であり、「神の世界に通じていると信じられている洞窟などをいう。拝所になっているのがふつう」と説明されている。

これはどういうことかというと、沖縄には仏教が入ってくる前から「てら」という言葉があった。今でも主として霊石(ビジュル)を安置した「テラ(ティラ)」と呼ばれる洞窟、石祠、神殿が沖縄全島の各所にあり、それは例えば「渡口のテラ」「安里のテラ」「真壁のテラ」などと称し、五穀豊穣、子孫繁栄、無病息災を祈願する拝所として人々の信仰を集めている。

沖縄最古の仏教伝来の記録としては、13世紀の中頃、英祖王(1260年即位)の時代に禅鑑と称する僧が、那覇に漂着し浦添城の西に極楽寺を建立したことである、とされている。神の世界に通じている神聖な拝所を「てら」と称する慣わしがあった沖縄の地元民にとって、仏教伝来の当初、仏寺を「てら」と呼ぶことに、おそらくは何の違和感もなかったことであろう。

同じことが、列島本土に仏教が伝来したときに起きた、と考えて何の不都合があろうか。沖縄も含めて、それがどれだけ古い時代に遡れるか定かでないが、少なくとも仏教が伝来するよりも遥か以前から、何らかの神聖なものを祀った拝所の名称として「てら」という言葉はあったのである。

では、仏教伝来以前において、神聖なものを祀った拝所とは、何であろう。

古墳である。墓として世界最大級の仁徳天皇陵は、全長486㍍と言われてきたが、本年(2018年)4月、525㍍であると訂正された。こうした巨大な陵墓をはじめ、大小およそ20~30万基の古墳が造られた時代に、大和朝廷という最初の統一国家が誕生した。日本国家の起源は、世界史に例を見ない「お墓の時代」でもあった。

前方後円墳は、その方形の場所において円墳を拝して祭祀が営まれた。

その場所、その拝所こそが、「てら」と呼ばれた、と私は考える。

推古天皇の時代から大規模な古墳の造営が行われなくなった。そして、あたかもそれに代わるかのように寺院の建立が始まった。

仏寺もまた「てら」と呼ばれたのは、それがほかでもなく、「霊場」だったからである。だが、実は仏教が伝播した国や地域で、寺院が「霊場」と呼ばれるのは日本だけである。ここに日本仏教の最大の特色があると言わねばならないであろう。

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