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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【日本語の仏教⑨】vol.93

死者を尊ぶ ~その1~

死者をどう呼ぶか。

日本人は「ホトケ」と呼ぶのである。正しくは、「ホトケ様」である。

ホトケの本来の意味は、仏陀。すなわち、お釈迦様。だから、お釈迦さまに対するが如く、死者に対して合掌するのである。

さて、このようなかたちで死者を尊ぶ国は、他にあろうか。

テレビの刑事ドラマなどで、死体が発見されたとき、死体に対して警察官(刑事や検視官)はまず合掌するが、そのようなことをする警察官がいる国は他にない。

死者は死者というだけで、お釈迦様のように「ホトケ様」と呼ばれる仏教国は他にない。仏教国どころか、死者が死者というだけで尊重され、手を合わせてもらえるような国は、日本以外にない。

ところで、日本は仏教国なのだろうか。つまり、日本人はみな仏教徒だろうか。はっきりと自覚をもって、自分は仏教徒と称する日本人がどれほどいるだろうか。

氏名や住所を記入する入国カードに、宗教を記す覧のある国がある。かつて、「無宗教」と記して、入国を拒否されたケースが実際にあった。なぜかというと、無宗教ということは、私は人間ではありません、私は野蛮人です、犬猫のように扱ってもらって結構ですと言っているに等しいから。そんな輩を入国させるわけにいかないということなのであった。

こういう世界の常識に照らして、果たして日本人の宗教意識は、いかがなものであろうか。

昭和22年に施行された日本国憲法の第20条3項に、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動をしてはならない」とある。これはマッカーサー草案を忠実に翻訳したものである。だが、これにより、戦後の日本は原則的に、無宗教国家になったのである。

明治憲法(大日本帝国憲法)には、第28条に「日本臣民は安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りにおいて信教の自由を有す」とあるのみで、新憲法のような「野蛮な」規定はなかった。

日本と同じく第二次大戦の敗戦国となったドイツは、日本と違って、憲法(ドイツ連邦共和国基本法)だけは断固として自前でつくった。その中で、「宗教教育は、公立学校において、正規の教科目とする」と定めている。宗教教育の禁止を定めた日本の憲法と何という違いであろうか。

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