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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【死者の目・仏の目】vol.05

ある高名な舞台俳優の話ですが、「おれにとって怖いのは新だ師匠の目だけだ」とよく言っていたそうです。これはもちろん、観客の目など怖くないということではなく、たとえ観客の目をごまかせても、死んだ師匠の目がどこかで光っていて、それをごまかすことは絶対にできない。たとえ一人稽古の時でもそれは同じだ。そういう目を常に意識することによって自分の芸が磨かれるのだ、と語っていたのでした。

自分の腕に誇りと自信を持っている昔気質の職人さんの中にも、同じような心構えを持っている人が多く見受けられます。人の目に触れることのない部分の細工にも決して手を抜かない。多少のごまかしがきく部分にも丹念に気を配って仕事をする。いい加減な仕事をした日には師匠に怒鳴られますよと、もうこの世にいない師匠があたかもそばについているかのように話す職人さんがいます。手抜き仕事なんて恥ずかしくてできない。誰も見ていないなんてことはあり得ない、と語る職人さんに出会うと本当に頼もしく感じられます。

科学的合理的に考えれば、死んだ人が見ているはずがありません。そんな思いこみは迷信に過ぎない、というのは簡単です。実は多くの現代人はそういう考え方をしてしまっていて、この日本の素晴らしい職芸の精神的伝統を忘れつつあります。誰も見ていないところでは何をしてもよいのでしょうか。いくら大胆でも店員の目の前で万引きをする人はいません。盗みであれ、殺人であれ、賄賂であれ、どんな犯罪も、他の誰も見ていないだろうと思って行われるのです。
犯罪とまでいかなくても、昨今の日本人の言動は、せいぜい他人の目をいくらか意識することはあっても、「使者の目」を意識することはほとんどなくなりました。

人の真価が問われるのは、誰も見ていないところでどう振る舞うかというこでしょう。その時、手を抜いた役者は一流とはなり得ないのです。手抜き仕事をする人というのは、きっとどんな時にも誰に見られていないとは決して考えない人なのです。
仏様はすべてお見通しだと、昔から日本人は信じてきました。目に見えない「仏様の目」の存在を、子供達にも伝えていきたいものです。

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