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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【男女平等の神話】vol.32

お釈迦様と孫悟空は平等か、平等であるべきか。こんなことは問うも愚かなことでしょう。男女平等を言い立てるのはこれと同じです。
世の男は亭主関白を宣言するもよし。だがね、いかに関白が最高位の官職とはいえ、それを任命するのは天皇という「お上」です。「わが家のお上さん」は「山の神」とも呼ばれます。どちらが上か。
それにもかかわらず、なぜ「男女平等」という理不尽な「平等神話」が生まれたのでしょう。これはごく最近の話です。

数万年か数十万年、あるいはもっと古い時代から、男は外に出て獲物を捕らえることを生業とし、女は家の中で子を産み育て、地域社会の親睦を図ってきたのです。
男女平等を尊重すべきというならば、あらゆる競技種目で男女別になっているのはなぜか。スポーツの分野では男女を厳然と差別していて、だれも怪しまないではありませんか。
もしこの差別をなくせと主張するならば、オリンピックなどに出場するのは男だけになってしまうでしょう。一流と言われる女選手でも、一流の男選手とはどうしたって比較にならないからです。

当然ではないですか。男はたえず厳しい生存競争の世界で生きてきたからであり、女とは勝負にならないというより、女子供は競争の相手ではなく、なにをさておいても守るべき存在だったからです。
孫悟空がお釈迦様と力くらべをしたら、きっと孫悟空が勝つでしょう。
孫悟空はみずからの力を誇示しようとします。でも、それは結局、お釈迦様の手の平で踊っていたにすぎないことに気づきます。

人は例外なく、母の子です。よって子と母は対立すべきものではあろうはずがなく、母たる女はお釈迦様のように、すべてを包含する存在になるのです。男の子は孫悟空のように、ひたすら頑張って「山の神」に認められたいのです。
母と子、妻と夫、男と女、これに加えて、父と子、兄弟姉妹、さらには先輩後輩、上司と部下、師弟、世の中には様々な関係があり、いずれもおのずからなる「人の道」としての秩序があります。
男女の不平等は自然界の摂理です。生まれ持った本質の違いを生かしてこそ、それぞれの生き甲斐があるというものではありませんか。

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