照光寺タイトル画像
住職写真

宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
バックナンバー

これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【絵のように美しい国】vol.27

今から約百年前に書かれた次のような記述を読むと、世の中は次第に良くなっていくという進歩史観が誤りであることを痛感します。
「何百年もの間、盗難事件などの一度もあったことのない地方にわたくしは住居した経験をもっている。 ─そこでは明治になって新しく刑務所を造ったところが、いつもながら空きで用がなかった─そこではまた住民は夜も昼も戸締まりをしなかった。こんなことはどの日本人にも耳新しいことではない」(ラフカディオ・ハーン『神国日本』)。

昭和30年代頃までは、玄関に鍵をかけて外出するような家はあまりなく、ほとんどの田舎の家には鍵というものがありませんでした。
幕末から明治にかけて来日した多くの西洋人の日本滞在記には、日本人の弱点や欠点をも観察しながら、決して見下すことなく、ため息の出るような讃歎の言葉が多く残されています。
明治5年に来日して東京帝大教師を務めたチェンバレンは、ハーンのような日本賛美者ではありませんでしたが、「あのころ─1750年から1850年ごろ─の社会はなんと風変わりな、絵のような社会であったことか」(『日本事物誌』)と嘆じています。

日本における近代登山の開拓者ウェストンは、大正時代に「明日の日本が、外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の日本人よりはるかに富んだ、おそらくある点ではよい国になるのは確かなことだろう。しかし、昨日の日本がそうであったように、昔のように素朴で絵のように美しい国になることはけっしてあるまい」と書いています。。

次は幕末にハリスの通訳として付き添ったヒュースケンの言葉です。
「いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ。この進歩はほんとうにお前たちのための文明なのか。この国の人々の質僕な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋人の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない。」

私たちは紛れもなく、かつてこのような「絵のように美しい文明」を築きあげてきた先人の末裔なのです。

照光寺について

住職連載法話