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宮坂 宥洪( みやさか ゆうこう)
照光寺住職
成田山蓮華不動院住職
智山伝法院院長

月々の言葉と連載法話
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これまでの法話を毎月一話ずつ紹介していきます。また、毎月境内に貼られる月々の言葉を掲載 していきます。

お寺を訪れる人は、住職の「月々の言葉」に励まされています。ご覧になった方の、心の支えになれば幸いです。

今月の言葉

【日本語の仏教⑦】vol.91

霊場とは?

霊場とは、「神仏の霊験あらたかな場所」という意味であって、要するに「神聖な場所」の謂いであり、必ずしも、その文字通りの「霊の場所」という、今時の言葉で心霊スポットといった不気味さを感じさせる場所を意味するのではないと思われるかもしれない。

かつて柳田國男翁がとなえた「山中他界観」は、古くからの日本人の死後の考え方を示したものだった。人は死ねばどうなるか。山へいくのである。山という大自然の懐に包まれて眠るのである。だからこそ、日本人にとって、山とは、ただ単に「平地より高く隆起したところ」ではなく、「神のいますところ」だった。

『広辞苑』(第七版)は「よみ」について、次のような興味深い説明をしている。

よみ【黄泉】

(ヤミ(闇)の転か。ヤマ(山)の転ともいう)死後、魂が行くという所。死者が棲むと信じられた国。よみのくに。よみじ。こうせん。冥土。九泉。万葉集(9)「ししくしろ―に待たむと」

どうやら日本語の「ヤマ(山)」と「ヤミ(闇)」と「ヨミ(黄泉)」はつながっていると考えてよさそうだ。

古墳は、人工的に造りあげた「山」であった。一昔前までの墳墓(一般の墓や陵墓を含む)は土饅頭のかたちをしているが、それは「山」なのである。推古朝の時代に、仏法興隆の詔が出され、寺院の建立が奨励された。軌を一にして、それまでの前方後円墳と呼ばれる大規模な古墳の造営が終息し、代わって寺院が建立されるようになった。それはおよそ百年かけて奈良盆地から徐々に全国に広まっていった。

その寺院は、日本語で「てら」と呼ばれ、また「やま(山)」とも称し、山号がつけられるようになった、ということなのである。

日本仏教は、江戸時代になって檀家制度(=寺檀制度、寺請制度)が整ってから死者を弔うことを重視し、いわゆる葬式仏教と揶揄されるようなかたちになったと一般に思われている(=誤解されている)が、日本仏教は最初から、古墳の宗教を継承するものとして生まれたのである。

その、ほとんど唯一最大の役割は、「鎮魂」であった。

それゆえに、日本仏教の寺院は、「霊場」と呼ばれるのである。

意外に思われるかもしれないが、仏教の故国インドをはじめ、仏教が伝播したいかなる国や地域でも、寺院は「霊場」ではないのである。

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